abe_mio’s blog

ニートが音楽、落語、日常等を色々書くブログ

蒟蒻問答モード状態

 

蒟蒻問答(こんにゃくもんどう)という古典落語の演目があります。

 

 

とても大雑把に概要を説明すると、やたら意識の高い修行僧がお寺を訪れて問答を住職に申し込む。

しかし、住職は修行の経験もなく、元々プータローしていた所を蒟蒻屋の親父からの紹介でお飾りの住職になったばかりだったのです。

 

 

問答に負けたら如意棒で殴られ、お寺を追い出されてしまうとのこと。

住職は留守とごまかすが、ならば命の限りここで待つという。

困った挙句、仕方ねえなって事で、蒟蒻屋の親父が身分を偽って問答を引き受けます。

 

 

 

いざ問答に臨むと、修行僧は色々な言葉で問いかけてきます。

しかし、蒟蒻屋の親父にはさっぱり意味が分からないので、ずっと黙っています。

 

すると、修行僧は「これは無言の行だ」と勝手に解釈し始め、今度は手の仕草でいくつか問いかけます。

それに対し、蒟蒻屋も仕草で答えます。

その答えに恐れをなして、修行僧は負けを認めます。

 

 

 

住職は修行僧に尋ねました。何故、負けを認めたのか?と。

「素晴らしい物の考え方だ。自分の修行が及ばなかった。」と答え、逃げ去ります。

つまり、彼は仏教に関することを問いかけ、蒟蒻屋の親父はそれに対して優れた回答をしたと解釈していました。

 

しかし、一方で蒟蒻屋の親父。

彼は仕草で問いかけられる直前に、自分が蒟蒻屋である事がバレたと勘違いしました。

修行僧の問いかけは、自分の店の蒟蒻を馬鹿にした内容だと解釈していたのです。

だから、親父は仏教について答えたのではなく、おめえは俺の客じゃねえ!と回答していたのでした。というお話……

 

 

 

 

今のお笑い芸人で例えるなら、アンジャッシュのすれ違いコントですね。

双方向のコミュニケーションをして、その結果一つの答えを出すのが人と人の本来の在り方です。

お互い、勝手に解釈をして全く頓珍漢な答えに行き着いてしまうのが蒟蒻問答とアンジャッシュに共通する面白さ、おかしさなのです。

 

 

ただ、これって普通に現実世界であり得る話です。

この1年位、私は蒟蒻問答みたいなことを繰り返していました。

いや、下手したら中学生位からかもしれない。

 

やってみて駄目だった…なら良いんですが、やってもいなかったり、現実に起こってもいないのに最悪な事態が発生したつもりになっていたのです。

 

つまり、「俺には出来ない、向いていない(かもしれない)」というのが本来の形なのに、いつの間にかこの()が抜けてしまっていたのです。

結果として、精神的にも肉体的にも病んでいきました。

一人相撲による自滅ですね、情けない。

 

 

ただ、若いうちにこの「蒟蒻問答状態」を経験したのは大きいかもしれません。

ああ、このままじゃ駄目だなって肌身で感じましたし、人との関わりの中で自分の出来る事を見つけていくのは大事なんじゃね?というよりそれしか自分の事を見つける事なんて出来ないと思えるようになりましたよ。

 

 

 

色々書いたけど、もうちょい書きたいな。

そーいや、何故この話題を書いたか。

あるアニメを観ていて、あっ!これ蒟蒻問答状態じゃん!って気が付いたんですよ

そのアニメのタイトルは……長くなってきたから次回に続く……