abe_mio’s blog

ニートが音楽、落語、日常等を色々書くブログ

蒟蒻さやかちゃん

前回の続き

 

 

二人目は「美樹さやか」です。

 

 

彼女の場合、特にほむらと上条恭介ですね。

 

ほむらのところでも触れましたが、この二人は仲良くする場面が皆無でした。

まあ、最初の数週は、さやかとほむらの攻撃方法の相性が非常に悪かった事が原因ですが。

その後は、ほむら=自分やマミを邪魔する奴という印象しかなかったし、それ以外の事を考えようともしませんでした。

 

 

 

 

恭介の場合、恋心から来る暴走ですね。

しかも、作中での描写からして恭介は、さやかの事があんまり好きではない可能性が高いです。

 

 

仁美と仲良く喋っていたし、好きって言われて満更じゃねえし。

ネットで色々書かれていたと思うんですが、退院する時も、さやかには特に連絡していなかったんですよね。

 

 

まあ、その辺を冷静になって気が付いたんでしょうね。

仁美が告白したあたりから。

 

色々やってきたけど、自分が仁美よりも恭介にとって魅力的に映ることはない。

はっきり言って、一人相撲をしていただけだった。

 

それが「わたしって、ほんと馬鹿」にも繋がるし、最終回で恭介と仁美がくっつくことを冷静に諦めていたのもまあ、そういう事でしょ。

 

 

ほむらとの付き合いはまだしも、恭介に対しては正直、浅はかな考えと言えばそれまでですがね。

ただ、中学生くらいの頃なんて誰しも思慮深い行動なんか出来ないでしょ。

 

だから、中学生に命がけの選択、行動をさせるこの話は、設定ミスを起こしてはいないかなと。

小学生ではそもそも願いが無い。大学生くらいではもう少し思慮深く行動しろってなりますからね。

 

 

 

ここまで蒟蒻問答状態と、やたらと大げさに書いてきましたが、要は「視野が異常に狭くなっている」ってことなんですね。ただそれだけなんです。

 

蒟蒻問答はその事を面白おかしく描きました。

対して、まどマギは脚本家の虚淵玄さんが、蒟蒻問答を意識したかどうかは知りませんが、これを悲劇的に描きました。

 

キュウべえに騙されていたなんていうのは、まさにそうですね。

気が付くまで、作中の5人の女の子は全く気が付きませんでした。

これは、キュウべえは必ず正しいという思い込み、疑いの目線の欠如です。

 

 

 

まどマギは視野の欠如が重要なキーワードと言って良いと思います。

それはシナリオ上の悲劇的ドラマを数多く生み出しました。

 

 

この文章を書いていて、改めて古典落語は凄いなと感じました。

視野の欠如をキーワードにした作品は、形は大きく違えども現代において普通に通じているという事。

かつ、それを面白おかしく描いている事。悲惨さを全く感じない事。

 

日本人は悲しい話、陰惨な話を作るのはそれほど苦手としていないそうです。

むしろ、世界的に見ても得意なほうなんだとか。聞きかじった話ですが。

 

国籍を抜きにしても、お涙頂戴な話、演出ってのはそんなに難しくないのです。

 

それに対して笑いは難しい。

特に笑われる、笑わせるではなく、自然に笑ってもらう、何だか笑ってしまうというのは大変に難しいものなのです。

 

まどマギは視野の欠如が一つのキーワードになっている事、古典落語の偉大さ。

これらに気が付けただけでもこの文章を書いた価値があるってものです。